■2006年5月30日(水) 終わらない四月から。
何もかもが終わらない。

「バット男」と「清ら肝」の残務処理を少しずつ片づけながらいる。
あるところからある芝居の演出助手をやってくれないかという依頼。ただ、その時期はとんでもない期間であるので厳しそう。どうしたものだろう。

それから。あるところから「清ら肝」をやってくれないかという依頼が二件。流行っているらしい。しかし、条件などを聞いてみるとこちらも厳しそう。せっかくの有難い依頼だがなあ。もったいないもったいない。


「バット男」が終わってから、大変な思いで原稿を書いていた。近日中に『琉球新報』に掲載されます。どうぞ探してみて下さい。


ああ、『au』とのアノことも決着せねばなあ。


夜は『フォトショップ』の解説本を読む。
しゅーりょー。 ■2006年5月28日(日)
『バット男』公演が終了した。


ご来場下さった皆さまありがとうございました。


『バット男』公演における、たわらの経験値の上昇はなかなかのものだった。なにせ『分からないこと』に挑戦しまくったので個人的なボケは噴出しながらも、まわりで支えてくれるスタッフ達のお陰で少なくとも七単位は上昇したように思う。
今回、初めて『美術プラン』として名前を出した。ホント出来ないことだらけで、公演後の打ち上げの時に舞台監督から沢山のアドバイスを頂いた。沖縄にやってきたばかりの、この道三十年の大先輩である。ありがたい。
舞台美術専門の友人からは“勉強の仕方”について教えてもらった。少しずつではあるがもっと良くなっていく。


公演の出来はどうだったか。
上演中の観客の表情や呼吸、帰り際の笑顔や言葉から概ね好評であったという感触。何人もの方から握手を求められ「とてもおもしろかった」と褒めて頂いた。それは“本”自体の力に依るところが大きいが、それでも素直に嬉しい。
四回公演と少ない上演回数だったが、全体的に安定していて大きな乱れはなかった。が、しかし演出としては満足ではない。もっともっと出来ることがあったはずだ。稽古では、役者に対しニコニコ笑いながら、各々が現時点で持っている力の限界を超えるぎりぎりのところまで要求し続けたので、それぞれ精神的には苦しかったかもしれない。所属が違い、経験値も異なる役者達が、ぶつかり合って、それぞれの長所、短所を見出せた稽古だったのではないかと思う。
今ある身体で出来る範囲内で満足するのではなく、さらに先にある“おもしろさ”を求めていかねばならない。“現状維持”という名の“後退”だけはしたくないのだった。


さーて『次』が待っている。
■2006年5月26日(金) 初日。
『バット男』の初日が無事幕を開けた。

ご来場下さった皆さまありがとうございました。

今回は、TTC(仮称)公演とは違って上演回数が少ないです。
残すところ明日、明後日の3ステージ。

多くの皆さまのご来場をお待ちしております。



実際、舞台はよい感じでスタートした。劇場に入ってからのスケジュールはかなり強引で、厳しいところであったが、それがかえって一体感を作ったかなってな具合。
テクニカルなミスは幾つかあったが、流れが滞るような重大なモノではなかった。
明日は昼と夜の二回まわしだ。上演時間の関係で、終演後の“ダメ出し”が出来なかったので、まずはその作業から。明日もまた一日大忙し。



なんだか大きな仕事の話が…。ありがたいが、その内制作集団になりそう。いや、ありがたいが。
そして本番。 ■2006年5月26日(金)
“小屋入り”と“仕込み”の日だった。
予想通りに“ドタバタ”の一日。スタッフ、役者の皆で力を合わせて、なんとか“テクニカルリハーサル”まで持って行った。明日は“ゲネプロ”と“本番”だ。
かつては、どこの劇団でも、役者が大道具を仕込み、照明を仕込み・・・・ってことをやっていたが、今は多くの場合が分業。つまりそれぞれの分野のプロが入って作業をする。役者はそのお手伝い。
さて。どんな舞台に仕上がっているかは、劇場に来てのお楽しみということで。

皆さまのご来場をお待ちしております。
■2006年5月24日(水) ほんばんまぢか。
稽古は最終段階。
通し稽古を経て、細かい調整をしている。動線の確認、立ち位置の確認、出ハケの確認などなど。舞台監督から助言を得たり。
明日で稽古が終了して稽古場から出る。一日休みを置いてから、いよいよ小屋入り、TTC(仮称)のコレまでにない大がかりな美術なので技術的なことが不安ではあるが、心強いスタッフがまわりを固めているので、きっと何とかなるだろう。なんとかするけど。

「バット男」と同時進行で、「清ら肝」の制作残務処理。それから、今年度の後半に向けての仕込み等々。
そして、大切なことがひとつ。『沖縄現代演劇協会』の個人会員を募集し始める作業を始めねばならない。
ゲネプロのようなモノ。 ■2006年5月19日(金)
「バット男」の出演者達は皆多忙である。スケジュール調整が難しい。それでかなり以前から“早め早め”の稽古をしてきた。チラシも2ヶ月前に出来上がっていたりして。
舞台監督立ち会いの下でそんなこんなの最終通し稽古を行った(余談だが。“サイシュウトウシケイコ”と入力したら『済州島死刑湖』と変換され、“サイシュウ”、“トウシケイコ”と入力したら『最終』、『凍死稽古』となった。正解は『さいしゅうとおしけいこ』)。

2ヶ月以上もネチネチこまごまと稽古をしてきた分、流れはまあ、良い感じ。ただ、ひとつ、大きな問題が判明した、というか、大体予想はしていたが、上演時間が2時間25分になってしまった。原因は分かっている。たわらのせいだ。あちこちで役者達にたっぷりの『無音の間』を要求したからだ。しかし幾らなんでも長い。少々『間』を削ることを考えねばならない。ツメるのは簡単なんだがなあ。



au!
中間報告。

5月12日(金)17:42

各ショップを統括する方から電話有り。
「ショップの対応で不愉快な思いをさせてしまったこと」への謝罪と「今後このようなことがないようにショップの対応を正していく」という旨の回答があった。
最重要懸案の『オプション料金支払い』については、「今月は請求が始まっているので、来月分から差し引き相殺させて欲しい」と提案があり了解した。

たわらから担当さんへ要望を述べた。

田 「今回の件について『au(沖縄セルラー)』
   としての公式な見解を文書で下さい」
坦 「…それがどのようなモノなのか現時点では
   分からないので即答は出来ません」
田 「今回のやり取りの中で、接客の仕方、
   書類のやり取りなど幾つか疑問点があった
   ので、それらについて質問状を作成します。
   公式な解答をお願いします。来週くらいに
   文書を作成して連絡します。
   直接そちらに持って行っても良いですよ」
坦 「…わかりました。ではこちらは田原様からの
   連絡をお待ちしていてよろしいですか?」
田 「はい。改めてこちらから連絡します」

まだつづく。
■2006年5月14日(日) 暗黒面。
昨日の『たわ(ら)ごと』を読み返したら、負の方向に読み取られそうな部分があったので少々修正。


『都ホテル母の日公演』が終了した。
ご来場下さった『お母様』方、ありがとうございました。

『都ホテル』公演は、今年で三回目の“お呼び”となったが、役回りがさりげなく、少しずつ格上げになっていて嬉しい。何事もコツコツである。
(いつも、同じ事を書いているが)もちろん、反省すべきことも沢山あって、今回もたわらの身体に関する課題を発見した。しかも本番中にである。ただただ精進するのみなのだな。永遠に。
声を掛けて下さった『都ホテル』関係者に多謝。


さてさて。次は『バット男』の番だ。
先日の稽古時に、作品中に使用する映像の撮りをやった。
映像部分も含めて、稽古すればするほど、考えるべき事が次々と出てくる。ヌキ稽古を含めて『清ら肝』の本番であろうがナニだろうが連日のように稽古をしているが、稽古をヤリ過ぎかなとも思い始めている。しかし狙った通りのコトを確実に出すためにはひたすら反復稽古しかないのだった。基本的には皆笑いながらやっているが。
母の日。 ■2006年5月13日(土)
慌ただしい中で母の日公演を迎える。

いろいろなことがやまづみ。


先日の『清ら肝』が好評で早速再演の話が出ている。即実現となるかは分からないがありがたい話である。


この数年、稽古場と宅を行ったり来たりの生活だ。近いから便利なのだが、これでは“workaholic”ではないか。“余計なこと”や“不必要なこと”を沢山やらねばならないとひしひし。離島でビールとか。


で。コンピュウタのモニタをDell24インチに変えたらすこぶる快適である。それを活かす仕事が来ないかと待っていた。早速。あるところから、ある原稿の依頼。題と内容の方向性は決められているが、大筋から外れなければ何を書いても良いとのこと。それでこの数日は題材のことを考えていた。どんなことを書くかはほぼ固まってきた。アタマの中だけだが。


そんな感じの母の日前夜。親孝行しよう。
■2006年5月11日(木) あう!

『5月10日(水)』
14:15
14:31
14:34
19:09
19:14
19:52
『5月11日(木)』
12:39
12:40
13:13
14:23
14:45
17:13


上は…。
件の『auショップ』と『auお客様センター』との発着信の時間。

遂に『auショップ』に電話をかけた。
約三週間連絡がなかった事に対しての謝罪の言葉もない。
そして!話は振り出しに戻ったのだった。

ショップの言い分を何度も確認した。


店 「田原さんに責任があるのでオプション料などは
   払って下さい(※注 たわら意訳)」


静かにキレたたわらさん。

田 「わかりました。
   では、au本社に正式に抗議して処理して
   もらって構いませんね?」
店 「しかたないですね」


auに再び電話。

「今回の件、auとしての正式な見解を求めます」


次報を待て!

なにもないひ。 ■2006年5月8日(月)
朝から「対人的」な予定の何もない日。
久しぶりにひとりの日。
やりたいことは、ただずーっと眠ること。
実際はそうも行かないのでぽちぽち仕事をする。
急ぎ仕上げねばならない書類など。
ウチで仕事をすると怠けて眠ってしまう。
マクドナルドへ行きメモ書きを始める。
ある程度書き込んだら煮詰まった。
映画を観にちょっと遠出をした。
曇り雨曇り雨曇り雨と続く空模様のせいだろう。
心が重い。




■2006年5月7日(日) わな。
まわりの皆がたわらを陥れようとしているのか、次々と連鎖してカゼをひいている。稽古やミーティングの時に鼻をすすっている顔が順送りで替わっていく。
ずいぶん前にある方が言っていた言葉はずーっとTTC(仮称)の標語になっているのだが。

『役者はふつうカゼをひかない』


改めて考えるにゴールデンウィークだったが、本番やら稽古で、いつもと全く替わらない慌ただしい日常を過ごしていた。いよいよ14日は『母の日』公演だし。
つくづくウチナー芝居は難しい。いや、技術的にどうのということではなくて、『沖縄の身体』が要求されるからだが、たわらは常日頃から「ヤマトグチ」で過ごしていて、毎日“シシカマボコ”を食しているわけではない以上、その時点でアレである。例えば、日本語には無い(もしくは消えた)『音』があって、その発音が出来ない。
日本語で「君・おまえ」にあたる沖縄語は、聴感上は「ヤー(ya-)」だが「ヤー」と発音したらダメ出しをされる。「“ヤー”ではない。“ィヤー”」だと。それで思いっきり「イヤー」と発音しても違うと言われる。
「(モノを)私にく(呉)れるのか?」が「呉ぃてぃ く(き)ぃゅみ?」になる。日本語直訳では「呉れてくれるのか?」だ。この発音は「きぅぃてぃ く(き)ぅぃゅみ」という表記が、なんとか近いかと思うが、さて、書けても発音が出来ないのだ。
ある先輩は、「コレはもう仕方がないよ」とおっしゃる。
まあ、そうかもしれない。


「バット男」は良い感じで進んでいる。稽古を“年長組”と“年少組”に分けていると以前書いたが、年長組のスムーズさがおもしろい。要求したことを、すっと飲み込んでそれぞれの身体に合わせ解釈し直して提示してくれる。いわゆる“ダメダメ”の『ダメ出し』だけではない、本当の意味での稽古はここから始まるのだろう。現状で安心してはダメだ。
念のために書くが、年少組が稽古になっていないのはなく、技術と理解の不足している部分を若さという力で十分に補っている感じとでも言おうか。若くして『身体の自由』と『技術と理解』を持つ役者は、まあ、いない。いるとすればきっと“マヤ”くらいだ。それにしても時間が足りない。

二回目のスタッフ会議を済ませた。幾つかの問題点も解決の糸口が見つかり一安心。間違いなく良い舞台になる。
終わらない四月。 ■2006年5月5日(金)

『au』からも『ショップ』からも連絡無し。だから四月は終わらない。


高安六郎独人芝居『清ら肝〜沖縄芝居づくし〜』は終了した。
ご来場下さった皆さまありがとうございました。

いつもそうだが、今回は“いつも”にも更に増してドタバタだった。会場の『琉球新報ホール』設備が古く、多くの舞台機材を持ち込みせねばならず、そういう意味で大変だった。
しかし、ホールの担当さんがとても良くしてくれて大助かりであった。想定外の“現象”が沢山あり、解決するためのアドバイスを頂いた。大変ありがたかった。

芝居そのものはどうだったかといえば。自身が関わった芝居を褒めることはあまりよろしくないが、それでも、あの観客の“熱”からすると、かなり良かったのだろう。
至る所で、掛け声や、指笛、笑い、拍手があり、六郎さんもそこから“力”を得て演じていた。最近はめっきり見ることが少なくなったウチナー芝居本来の姿がコレなんだろうと思う。
初日の晩には、六郎さんの事務所へ感謝と感激の電話が何件もあったそうだ。演出の謝名元さんも六郎さんも大変満足していた。制作として非常に嬉しい。
舞台が一応の成功をみたのは、第一にお客様、それから照明、音響、美術の心強いスタッフ達のお陰であり、会館担当さんのお陰であり、また脇を固めてくれた劇団員達とヘルプさんお陰である。多謝。

当然だが、反省すべき問題も沢山あった。“続演”を前提とした作品なので次回以降の課題とする。ホント解決せねば。


で、どれくらいバタバタだったか。写真を一枚も撮ることが出来なかった。
■2006年4月26日(水) 電話攻勢。
「清ら肝」記事が新聞に掲載されたため、朝から電話がじりりりりーん。

追われる日々ではあるが、まあ、忙しいのはありがたいことで。
「清ら肝」の台本修正やダイレクトメール発送、稽古、そして「バット男」稽古と過ごすいちにち。


気になる“印刷系”と“デザイン系”の本を発見し購入。真夜中の、眠る前にうつらうつらしながら目を通す。いわゆる『グラフィックデザイン』ってなんておもしろいんだろう。こう、書くとホンモノの本職の方達に対して失礼かもしれないが、しかし、ホントおもしろい。
“ああ”な素材に“こう”なインキで印刷できたら幸せだなあなどと夢想してしまう。まあ、すぐに値段のコトを考えてしまうが。
ふつうにデザインの仕事を受注出来るようになるために日々勉強だ。

もう、すっかり忘れそうだったが、『DELL』からメールが来た。
「ご注文のモニタを発送しました」という。
ああ、そんなこともあったのだった。注文メールの日付を確認したら三月二十日だった。

『au』も『ショップ』も連絡がない。
そろそろ電話をかけてみようかと思う。
まよなかに。 ■2006年4月23日(日)
「清ら肝」パンフレットデザインが出来上がり、たった今データをCDにコピーしたところ。4:00だ。
やけに時間をくってしまった。来週は本番だというのに。印刷は間に合うのだろうか。
ほぼ24時間前に、イラストレーターで“トンボ”がうまく作れなくて、うんうんと唸っていた。どーしても、どーやっても、3mmほどずれてしまうのだった。VAIO君2号でやってもデスクパー君でやっても同じ。髪の毛が抜けそうになったので、一時中断して就寝し、朝になって『Adobe』のサイトで確認したら、“バグ”だった。アップデータをダウンロードして適用したら簡単に修正された。夕べのウチで確認しておくんだった。無駄な時間だった。

『バット男』の稽古が面白くなってきた。まだまだ上手くいかないところも沢山あるが、そこんところも含めて“回り始めた”感じ。年長組の安定感と年少組の“若さ”がぴったりミスマッチでグーである。

『母の日公演』は。
昨年同様に『沖縄都ホテル』での公演。玉木伸さん、親泊良子さん、仲嶺真栄さん、照屋政雄さんらと歌劇の2本立て。たわらは『那覇の学生さん』で、歌うのだった。


『au』は連絡無しの進展無し。



■2006年4月19日(水) けいこがつづくよ。
そんな日常の中で稽古は進行している。

「バット男」も進んでいるが、「清ら肝」はいよいよ二週間後に迫った。
出演もなく、演出でもないので、そーゆー意味ではラクと言えばラク。

そして、稽古が面白い(本番も当然に)。
高安六郎さんは一風変わった役者だ。幼少の頃から舞台に立ち、舞踊、組踊り、歌劇などのいわゆるウチナー芝居、それから新劇(←ホントの意味の)、娯楽映画など活動の幅が広い。ソコんところはたわらの師匠、平良進さんと同じである。
若かりし頃の六郎さんはまさに“活劇スター”であり、この沖縄でナマ放送九十分テレビドラマをやってもいた。ホンモノのアイドルスターだった。
その頂点に立った時に“思うこと有り”で一時、芸能界を離れ宗教活動に身を投じ(決してアヤシイ活動ではありません。神道系です。厳しい修行をしたそうです。念のため)、近年演劇活動を再開している。

チラシを製作する際に過去の仕事の写真を沢山見せてもらったが、その仕事の質と量は現在の沖縄の状況とは比べものにならない。何故にあれだけ隆盛を極めた沖縄芸能界(ウチナー芝居・琉舞だけではない)が衰退していったのか誠に不思議でなりません。はい。テレビジョンに“座”を奪われただけではありませんね。きっと。

「清ら肝」はそんな六郎さんの半生と沖縄芸能全般の戦前、戦後を物語の軸にしている。そうだから稽古が面白い。舞台上では言えないようなこと、事件、体験談がアドリブで次から次である。いちいち勉強になる。
そのひとつ。最近よく使う「ゆたしく」というウチナー口表現はそもそも無く、「よろしく」と混同した“誤用”だそうである。正しく言い直すと以下になるそうである。

『ゆたさるぐぅとお うにげぇーさびら』


そうだから。例えばこんなコトをやったら面白いんじゃないかと思う。

「チケット十枚お買いあげの方にもれなく稽古見学ツアーへご招待!」

実際、稽古場であるTheater TENはイッパイイッパイで入りきらないんだけどね。


たわら自身の「母の日公演」稽古も進行中。どうやらたわらも少しずつではあるが経験値は上がっているようだ。先輩方が教えてくれる(口立てで)セリフのあとから、なんとかついていけるようになってきている。時間はかかるがゆっくりと。
その名は。 ■2006年4月19日(水)
『au』である。

・・・前回からの続き・・・。

4月17日(月)11:56。

4月12日(水)に『auお客様センター』に相談してから、待つこと5日間。“センター”も“ショップ”からも一向に電話がない。こりゃダメだと判断し“センター”へ電話をかけたところ、先日話した“3人目”の担当さんは別件電話に対応中だという。電話を受けてくれた“4人目の方”に、通算4回目の説明をしてから、「“3人目”さんに連絡が欲しい旨、伝えて下さい」とお願いした。
しばらくして“3人目さん”からではなく、件の“ショップの人”から電話が来た。12:15。その人が責任者だという。まあ、言いたいことは色々あったが、黙って先方の話を聞いた。

店 「説明不足だったことはこちらの不手際でした。
   どうもすみません」
た 「わかりました」
 〜途 中 省 略〜
た 「それで1ヶ月分の料金はどうなるのですか?」
店 「はい。“センター”と相談、調整して
   どうなるのか確認して連絡します」
た 「わかりました。連絡待ってます」

現在以上の状態である。

しかし。「au」さん。ショップとの間に立ってやり取りしてくれるのはありがたい(というか、業務の一環だから当たり前ではある)が、「連絡をくれ」という伝言に対して、直結でなんの説明もなくいきなりショップから電話がかかってくるのはいかがなモノか。
たわらだってかつてカタギだった頃は、営業職でふつーにやり取りしていたが、こんな接客したらクレームが来るのは当たり前だと思うが、すでに時代が変わったということなのか。
こんな対応の仕方についても、コトが落ち着いたら問いただしてみよう。


今回のオチ。

2日経過したがショップからは連絡がない。



いいのか!au!こんなんで!
■2006年4月14日(金) クレーマー・クレーマー。
父の携帯電話を機種変更した。
そーしたらだ。頼んでもいない“パケット割引”のオプション等が二つ設定されていた。月額1000円のヤツと300円のヤツである。申し込み時に「ネットもメールも全く使いません」と言ったにもかかわらず勝手にである。
その時のショップ従業員の対応が、これまたイカン。機種変更の作業を始めようとした時、店に入ってきた三人の客に気を取られ、こちらをほったらかしてその対応を始めるではないか。後組二人の料金支払いと相談事まではこちらも黙って聞いていたが、今にも三人目に向かいそうだったので、対応を始めたら苦情を言うつもりで構えたら、さすがにマズイと気が付いたのか、ようやくこちらへ戻ってきて手続き開始。その間待たされること10分程ほどか。
その後、手続きはすんなり終わったが、そこからがまた・・・。

機種変更完了後、書類にサインを要求されて素直に署名。その時にはオプション設定のことは一切説明無し。もちろん説明があればその当然その時点で気が付いて取り消してもらったが、始めに「使わない」と言ってあるのだからして、まさかのよもやで設定されているだなんて・・・。
翌日。たわらの性格上、手続きがうまくいったか調べようとネット上から契約状況を確認したところ、オプション設定されているではないか!
すぐに取り消そうと『お客様サービスセンター』に連絡。センターさん曰く「取り消しは可能だが、1ヶ月分1000円と300円の日割り計算分がかかる」とのこと。
どどーん。怒り爆発。

上の事情を説明してショップに確認を取ってもらったら、ショップ従業員から直接電話がかかってきた。

店 「引き渡しの際に、ちゃんとサインしました
   よね。終わってからそんなこと言われたら
   こっちも困るんですよね。ちゃんとオプション
   の説明しましたよ」
た 「いいえ。していません。これは父の携帯電話
   です。ネットもメール全く使いませんとハッキ
   リ言いました」
店 「そんなこと聞いて言いません」
た 「他の客の対応に追われていましたからね」
店 「・・・。こちらはちゃんと説明しましたよ」
た 「いいえしていません。それに、もしも引き渡し
   時にちゃんと説明があったならその時点で当然
   気付いて指摘しています。だって絶対に使わ
   ないんだから」
店 「とにかく、解約はウチでは出来ませんから、
   他のショップでやって下さい」
た 「・・・。お客様センターに相談します」

「お客様センター」にこのやり取りを説明したら。
「ショップとのやり取りですから、こちらでは・・」
と。
それはおかしいと話している内にあれやこれや担当が三人も変わった末「ショップの責任者から電話をさせます」言う。

しかし・・・だ。それから中3日が過ぎた。
未だ連絡無し。
良いのかこれで。大手携帯電話キャリアさん。地元を大切にするんじゃなかったっけ?

あまりにアタマにきて怒髪が天まで届きそうなのでこの話題は解決まで続く!
対応によっては、キャリアさんに「公開質問状」を送って、ここで公開しようからん。ぷんぷん!
というわけで。 ■2006年4月6日(木)
ここへ引っ越しました。
新しいドメインで始めます。
『 tawaradesu.com 』で始めました。
■2006年4月11日(火) なぜこんなにも。
気が付けば四月も中旬となっている。
先日、ある芝居を観に行こうと思いチケットの取り置きまでお願いしたのだが、結局ゆけずじまい。申し訳ないことをした。

『清ら肝』の本番当日用パンフレットを製作し始めた。本職を忘れそうなイキオイである。
『バット男』と『清ら肝』と『母の日公演』稽古と入り乱れている。その他にもまだまだやるべきコトはあるのだが、どうも、能力が追いつかない。ある方はもの凄い仕事をしているというのに、一体ナニをやっているのだ、わたしは。
そう、携帯電話の機種変更をやったのだ。というのも、三月下旬に注文した、デザイン作業用の『DELL製モニタ』が生産管理ミスだかなんだかで、納品が四月下旬になるという連絡を受け、もろもろのデザイン作業に影響が出てしまい、うだうだしているウチにスケジュールに乱れが出て、それで、そんなスケジュール管理をコンピュウタでやっているたわらはシステム手帳に書き込む作業が面倒になってきた。手書きのスペースに細々と書いては消し、消しては書くを繰り返すのは、性格上無理がある。
コンピュウタに入力したデータをパッとサッと簡単に閲覧できる方法がないものかと思案していたら、ネット上でそんな特集を発見。カシオの新型携帯電話が“使えそう”なので早速購入して、いじっているのだった。
で、話がそれるのを承知で、改めて分かったことがひとつ。『取扱説明書』には面白いモノとつまらないモノがある。『カシオ』の“取説”はつまらない。もちろんたわらの主観による感想だが、たとえばあるページの表記にこうあった。

・「マルチメディア」データ(mmf,m3f,mqf,hvs,pcp)については、一件あたり150KBしか添付できません。

こうも後ろ向きにならなくても良いじゃないか。
きっとこの文章を書いた時『マニュアルライター』さんは、なにかつまらないことがあって“マイナス微妙”になっていたのだろう。
対して『三洋』のマニュアルは面白いのだった。






































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