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月記となる。 |
■2006年7月26日(水) |
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このままでは“週記”をも通り越して“月記”となりかねない状況。
いろいろと忙しい。
まずは。『沖縄市戯曲大賞』の稽古が始まった。先に書いたとおり『ワークショップオーディション』というような形式をとっている。約四十日間ワークショップを行い、その中でキャスティングする。
メニュウは三本立て。ヴォイストレーニング&ドラマワーク、琉球舞踊三題、エチュードだ。オキナワでこんな形で公演まで創っていくのは初めてのことであろう。何はともあれ主催の『沖縄市文化協会』と共催の『沖縄市』に感謝。
稽古は始まったばかりで、まだ二回目だが、都合で作品には出られないがぜひ稽古を見たいという問い合わせもあって非常にうれしい。お互いに刺激になることがあればよい。それが目的の一つでもある。
『清ら肝』の制作も慌ただしいことことこの上ない。琉球放送が共催で参加することになったので打ち合わせなどなどなどな。当たり前の話だが、きちんとした会社なので業務もきちんと早く正確にだ。チケットの販売も八月中旬と決まり、公演は十月だが印刷物の制作を始めている。そしてちょっと先にはパンフレット制作が待っている。
それから。
『恩納ナビー』の稽古も始まっている。今回は“村頭”の役だが、出演依頼があった時に聞いていた“役回り”とはずいぶん変わっていて戸惑っている。もちろんいい意味だが。なんといってもアレなのは、コンベンションセンター劇場棟の大舞台でカチャーシーをソロで踊るという恐ろしいことに。いろんな意味で必見ですよ。これは。
最近のちょっとした疑問。
ワープロソフトの『ワード』のことを、ほとんどの人が“平板”で発音するのに、どうして表計算ソフトの『エクセル』はそうではないのか。 |
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2006年7月13日(木) |
ボクなんにもしないのに。 |
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ホントに時間がない。ナニもしていないのに日が過ぎていく感じがする。加速度的。一体なんなんだろう。
今年も『沖縄市戯曲大賞』の制作を担当することになった。さらにもう一歩踏み込んで演出もやる。
基本的に、『初物』、『珍しモノ』好きなので、いくつか新しいことを試みるつもりで仕込み中である。まずは『ワークショップ形式オーディション』と『リーディング公演』のふたつ。これらは東京ではごぐごくふつうに当たり前に(というか飽きられてるかな)というほどありきたりだが、沖縄ではおそらく初めてのことだと思う。いままで聞いたことないし。
七月の下旬からワークショップを始めて一ヶ月強でキャスティング、それから読み稽古に入って『リーディング公演』、その後立ち稽古に入って、十一月中旬の本番へ臨む。少々強行軍ではあるが、きっと、まあ、何とかなるだろう。
ワークショップもてんこ盛りで、外から講師を招いて『ヴォイストレーニング&ドラマワークショップ』、『琉球舞踊の基本的所作』、『エチュードによる台本の分析と実践』の三本立て。さてどういうことになるか楽しみである。
そして、『清ら肝』の再演も決定した。十月三日(火)、四日(水)、五日(木)の三日間だ。
さらに、『恩納ナビー』の公演が九月二十三日にある。ありがたやありがたや。
日々のTTC(仮称)稽古もこつこつと。 |
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油断してしまう。 |
■2006年7月11日(火) |
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『役者はふつうカゼをひかない』。これがTTC(仮称)の標語なわけだが、このところどうしてもエアコンを使わねばならない状況になっており、それでついうっかりとカゼをひいてしまった。今はもうすっかり完治した後だから告白しているが、劇団員に常日頃から口酸っぱく言っている本人がやってしまった。実にくやしい。こんな状態になったのは何年ぶりだろう。悔しさのあまり意地でも病院は行かずに根性で治した。治療法は適度の腰湯です。
幸いにしてナレーションの仕事とぶつかることはなかったが、しかしあちこちの打ち合わせで鼻水を垂らしてしまったのだった。申し訳ない。
チラシデザインの発注を受けた酒造業さんから、さらに商品撮影の発注があった。大変ありがたい。これで毎晩毎晩、デザイン・印刷系の参考書(?)を読んでいる甲斐があるというものだ。何もしないこのままでは、タダでさえアタマが大きいのに、実戦(実践)で活用できなければホンモノの頭でっかちになってしまう。いや、まあ、一応ホンモノではある。
大きめの制作業務が立て込んできたため、TTC(仮称)の職場環境の整備を始めた。コンピュウタを導入したことは先に書いたが、今度は『両面自動印刷機能付き、Auto−document−feeder付き、pcFax付き、無線LAN付きプリンタ』の登場である。今後、台本を大量にコピーすることになるので、50ページまでしゃかしゃか勝手に両面プリントしてくれるこいつはありがたい。去年は団員がコピーやFAXのためにコンビニ通いをして不便だったが、技術革新のお陰でTheater TENから無線LAN経由でFAX送信が可能となった。すごい世の中になっていく。
もちろん稽古は『ふつう』に進行中。
『楽屋』(清水邦夫作)と『てんぷくトリオのコント』を稽古している。何の共通点が?という組み合わせだが、いずれも大変おもしろい。特に『楽屋』は十年以上前に上演したことがあって、いま読んで改めて分かることがわんさかとあり興味深い。難易度の高さもそうだが、「あとがき」にあった作者の言葉、「楽屋は劇団員の稽古用に書いた作品である」には参った。今、という現在にこの作品を稽古する意義はなんだろうと考えてみると「勘だ!」としか言えないが、実際に劇団員が四苦八苦読んでいる声を聞いていると、三十年前の「演技法」や「発声法」なんてモノを観たことも、聞いたこともない彼らにとっては、必要性のほぼ無い、まさに『時代劇』なんだなあと痛感。今どき「あのような」演じ方をする人は極々少数派だろうが、当時はある程度の勢力を保っていた(?)演じ方なわけで、そこから、今のやり方が起こっていること(反動も含めて)も確かなのだから、やらないよりはやった方がいいだろう。知らないよりは知ってるべきだろう。
舞台に立つ者として、『当たり前にやるべきこと』から逃げてはいけないのだった。包丁をふつうに使えない料理人はいないだろう。精進しない職人は社会的に許されない。しかし役者の現実はどうか。 |
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■2006年7月3日(月) |
ある日、ある所、 |
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先日、ある機会を得て、ある方が大切に保管してきた大変珍しいモノ、90年前の“沖縄演劇”のポスターを見た。さらには当時の同人誌や、台本など、現存していたことが奇跡としかいいようがない貴重な資料群も。ナマ物である。今でいうところの、『テアトロ』や『シアターガイド』のような感じか。びっしりきっちりの細かい手書き文字がガリ版刷りで。
そして、当時の演劇や沖縄芸能を研究している方、沖縄芝居の名優と言われた方の息子さんの話も聞くことが出来た。曰く。戦前、沖縄で演劇活動(いわゆるウチナー芝居だけではなく今でいう新劇系などモロモロ)が盛り上がっていた頃、五十余りの劇団があって、それぞれが技を競い、人気劇団、人気役者に負けないよう切磋琢磨して、日々の舞台に命を懸けていたそう。
それら多くの劇団の中で、特に人気と実力のあったある劇団の座長の言葉に驚いた。
「役者はまず人として在れ。社会人としての常識を持つこと。なによりも役者は芸術家としての誇りを持って生きよ」
90年も前にすでにこんな言葉を残した人がオキナワにいたのだ。その劇団はインテリ(悪い意味ではない)の集まりで、東京から様々な文化人がやってきては、観劇後の楽屋が“サロン”となり、そこで出た新しい意見を積極的に取り入れ翌日の本番では作品を練り直す作業が“ふつう”行われていたそうだ。
その座長は「役者の社会的地位の向上」を目指していて、沖縄の劇団で初めて"月給制"を取り入れたそうだ。もう、アレです、なんと言いましょうか、ただただ頭が下がるのであった。
そして90年経った現在はどうか。いや、決して悲観的になっているのではない。ゆっくりで構わない。前へ前へ。
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