きょうのたわ(ら)ごと
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最近のたわ(うら)ごと
落ち着かないたわらの日々
■2004年4月29日(木)間もなく新サイト!
生きてます。
稽古してます。
間もなくツカヤマ!ホームーページが新しくなります。それに合わせて引っ越します。新しい團員の顔などもよーやく公開です。

再来週はいよいよ母の日公演。いよいよ落ち着かない。

ビデオ。
『バードケージ』、『記憶の旅人』などなど。
■2004年4月23日(金)本日ワークショップ発表会
本日23日(金)15:00から(開場30分前)、美浜メディアステーション(セブンプレックス向かい・スターバックス隣)にて、栗山民也ワークショップの発表公演があります。
たぶん入場無料!時間のある方観にいらして下さいませ。
■2004年4月19日(月)演劇ワークショップ。
午前中からワークショップを受ける。国立劇場の芸術監督である栗山民也さんのワークショップだ。
日本の演劇界の第一線(?)で活動している演出家のワークショップが沖縄で開催されるのは滅多にないので参加している。参加者は多様な顔ぶれで楽しい。
たわらはいちおー高校で教える立場にあるので、まあ、なんてゆーんでしょうか、先生も先生を見つけてちゃんと勉強しなきゃねと。

早速ちょっとした発見があった。以前に平良トミさんとやったことがある、古いウチナー芝居作品の、恐らく元ネタだろうと思われる台本が課題として出て来た。井上ひさしさんの『てんぷくトリオのコント』である。おもしろい。

ツカヤマ!の稽古をしつつ、新サイトの制作をしつつ、おっと、忘れていた。

劇團塚山公園!のサイトは間もなく引っ越します。鋭意制作中です。間もなく、間もなく公開!

サイトの制作をしつつ、母の日稽古、いろいろいろいろである。

息抜きも必要なので映画を何とか。『ディボース・ショウ』。
ビデオで『ショコラ』、『チョコレート(原題はどうしたらそうなるの?というほどの『モンスターズボール』)、『ロード・トゥ・パーディション』、『love letter』他。
それから、息抜きと考えるようにしようと考えている、勉強のための難しい本も何冊か。ずーっと以前に読んだ時には解らなかった戯曲を読み返して今笑ったりしている。ナニが変わったのか。
さようなら玉。
2004年4月16日金曜日玉を失った。
玉の玉が無くなった。人呼んで『玉無玉』。
右から呼んでも玉無玉。左から呼んでも玉無玉。
『玉』は去勢手術をしました。10500円(税込み)かかりました。
昨日動物病院に連れて行き検査をした後、本日玉は生まれ変わりました。手術跡が痛いのか壁に向かって「ふーふー」言ってます。おめでとうたま。

もうすぐ母の日。今年の『母の日』公演は『都ホテル』の舞台に出ます。

「沖縄芝居とバイキングで楽しむ母の日企画」
演目 『与那国ションガネー』 『首里上り小』
料金6000円
問い合わせ 沖縄都ホテル 電話098(887)1111

たわらは『与那国ションガネー』の“アンマー”です。

皆様のご来場お待ちしていますです。
■2004年4月13日(火)ツカヤマ!サイトをリニュウアルしなければ。
最近のたわらはやはり稽古なのだが、何かといえば一つは『母の日公演』、もう一つはツカヤマ!、そして太鼓と踊りは、平良師匠がある芝居の稽古のため東京へ行っておりお休み。それで自主トレ。
ツカヤマ!は新人さんが何人か入ってきたので『新人お披露目公演』かなにか出来ないかと画策中。最近のツカヤマ!稽古は今までになく人口密度が高い。
『子供の頃から沖縄に住むことになっていたと言う佐賀県人』は昨日の稽古で「トイレの蓋は何のためにあるんでしょうか?」と自問自答していた。
■2004年4月11日(日)修行。
先生の勉強を少しづつ始めているのだが、その行為そのものに意味を見いだそうとすると眉間にシワが。果てがないのだ。
昨日マスダ氏との打ち合わせ中に話題が横道に逸れ『演劇史』の話となった。かつて電気照明がなかった頃、さらにガス灯よりも前の頃の照明は蝋燭であり、しかもその蝋燭は鯨の脂で作られたもので、灯すとものすごい臭いがしたらしい。と、二人こんなネタで、今流行の“ボタン”を押したりした。もちろん重要なのは鯨脂の臭いにあるのではなく、ガス灯が入って来て以降、舞台に、演技に革命が起こった(らしい)ことが問題なのである。そこから話はどんどん分からない方向へ行き『本当の悲劇とは』なんだろうと。僕たちはジョバンニとカンパネルラになる。

夜中からビデオを数本。
『カンパニーマン』、『ケミカル51』、他。
■2004年4月10日(土)暮れなずむ金八先生。
やはり期待されている話題はこれでしょう。

『演劇概論』を選択した生徒は5人しかいなかった。しかもその内の4人は第1希望がハズレてやって来のであって、さらにもう1人は『美術』を選択したはずが間違いでたわらの元に。
これはもう、ここまで来たら見事という他はない。やってやろうじゃないか『演劇概論』。ああ僥倖!幸いにも5人の生徒はみな素直でやる気もあるので、彼らの為はもちろんのこと、自身の修業の為にも勉強しよう。

講義を終え学校内をウロウロしていると多くの生徒が声を掛けてくる。

「先生、ヤクシャなの?」

どうやら就任式の時に「役者のたわらです」としつこく自己紹介したのが効いているようだ。うん、地位向上に向けた第一歩としてはなかなか良い傾向である。
おそらく、彼らの十数年の人生でナマの役者を間近に見るのはこれが初めてなのだろう。ここで印象を悪くしてはならない。たわらも大変フランクに愛敬を振りまきまきまくった。
例えばシャイな男子生徒などは4階のベランダから「役者ぁ〜」と絶叫してくるので、押されてはイケナイとたわらも大声で「演劇部に入らないかい?」と返す。
また、入念にお化粧を施した女生徒群に取り囲まれてチヤホヤもされた。
その中の一人がまず言った。

女子A 「先生ぃ、何か芸やってぇ」
たわら 「・・・・・・」
女子一同「・・・・・ッ!」
たわら 「・・・・・ッ?」
女子一同「やってやってぇ」
たわら 「あー、いやね、役者はね、台本が無いと何も出来ない生き物なんだよ?」
女子B 「はぁ、なんでー、ちょっとでイイからなんかやってぇ」
女子C 「鳴き真似とかでもイイから、やってぇ」
たわら 「んー」
女子D 「先生キャラ濃いねぇ」
たわら 「どーもありがと」
女子E 「先生後ろ向いて」
たわら (お尻を向ける)
女子F 「先生あいぃこのズボンかわいい!」
たわら 「どーもありがと」
女子G 「先生これどこのブランドぉ?」
女子H 「先生自分で作ったの?」
女子I  「先生どんなテレビ出てるの?」
女子J 「先生ウチらさぁ女優になりたいんだけど?」
女子K 「先生なれるかな?」
女子L 「先生才能ある?」
女子D 「先生キャラ濃いねぇ」
たわら 「どーもありがと」
女子A 「先生ぃ、何か芸やってぇ」
たわら 「んー、あー、あのね、例えばね、ギタリストがね、ギターをね、
     持っていない時にね、演奏してってゆーのとおんなじだから、それ」
女子A 「・・・・あぁあ・・・・?」

たわらはこうやって10数分間話し続けたのだった。
■2004年4月7日(水)学園生活。
勤める高校は沖縄の中部にあって、自宅からは高速道路を通って40分ぐらいの距離にある。適度に“都会”で長閑な街。
昨日のオリエンテーションと、今日の就任式と二日連続で登校した。最初の面接の時に脅かされたような『元気のありすぎる生徒』はいない。いたってへーわそうな感じ。
しかし、初っぱなから問題が起こった。たわらの気分はすでに“金八先生”だ。

オリエンテーションで、自己紹介を終え、その後具体的な業務について、遅刻の基準、携帯電話の問題などいくつかの説明が始まったと思ったら、30分もしない内にいきなり終了となり会議室に取り残された。ははーん。なるほど。手取り足取りという事は無いのだなと理解し早速担当の方に演劇科の授業はどこでやったらいいのか尋ねた。
「プレハブを使って下さい」
さらりと、学校の片隅にあるプレハブを使ってほしいと言われた。
そのプレハブは、いわゆるふつうの、つまり、そのままの“プレハブ住宅”で、薄い壁にアルミサッシ、コンクリート敷きでカーテンがなく、机もイスも無い。そこで一体ナニをしろというのだろう。着替えすら出来ないではないか。
もちろんこの担当の方が悪いわけではなく“例年”そうだったようで、じゃあ前任者はどこで何をやっていたのだ。そりゃやってやれない場所ではないが、というか、そもそもそこでと指示されてOKだったのか。

ちなみに演劇科は生徒数が少ない上に時間数も少ない。だから教科室なるものがない。美術や音楽は『芸術科』となっていて部屋がある。さらにこれら科目の分類に至っては、音楽、美術、書道、工芸が『芸術選択』であるのに対して演劇科は『特色系選択』だ。なるほど色モノなのだな演劇は。

いきなりこんな事を書いたが別に教育現場批判をしたいわけでも何でもない。むしろこれが演劇に対する一般常識的見解なのだろうと再確認した。まあ、今後ゆっくりやわらかく主張して地位向上を図ってみたいと思う。
そんなわけで、勝手に『演劇科地位向上委員会』を作り、学校現場のモロモロの様子を時々この場でレポートします。お楽しみに。

ひとつ忘れるところだった。
初日でかなり気持ちが暗くなりはしたが、二日目の就任式と始業式でずいぶん救われた。体育館は今日から始まる新学期と新しい出会いに期待する高揚感に満ちていた。すぐに淡々とした日常が始まると分かっていても、その高揚感が心地よかった。
■2004年4月5日(月)それは先生。
明日から始まる先生業。ナニをやろうかといろいろ考える日々。ありきたりなところだが年度の締めには公演を打てたら楽しいだろう。
どんな生徒がいるのか楽しみ。どんなことが起こるのか楽しみ。楽しいと思う事が楽しい。

これからさらに忙しくなるから久しぶりにシチューを作ってみた。お相伴にあずかりたいという友人の希望で肉無しシチュウ。それはやはりダメだった。肉は命の源。

『玉(猫の)』がだんだん大きくなって、一人前の顔になっている。しかし家の中で飼っているせいだろうが、どうにも欲求不満で破壊衝動が強いのが困る。一番やっかいなのがトイレだ。使用前、使用後とも激しく砂を掘って外へかき出してしまう。ナニが不満なのか。その時に手に○○○が付いたりしようものなら家中にぺたぺたとマーキングである。

与那原町教育委員会発行のマンガ『奥山の牡丹・伊良波尹吉物語』を読んだ。大変興味深い。沖縄芸能の中興の祖とあったが、なるほどと思う。伊良波尹吉さんが残した古い作品を、出来うる事ならばいくつか発掘して上演してみたい。
■2004年4月1日(木)エイプリルフールだよ。
誰にもだまされず誰もだまさずに過ごす一日。
4月から始まる“先生業”の為の仕込みをする日で、病院に行って健康診断を受けたり、市役所へ行って身分証明書を取ったりなどなど。

仕事上よくプロフィールを提出する機会があるが、今回は“履歴書”が必要らしい。意味合いは一緒なので、よっぽど「いわゆるひとつのプロフィールではだめですか?」と訊こうかと思ったがその前に所定の書式を渡されてしまった。
それにしても履歴書を出すのは何年ぶりだろうか。

ツカヤマ!に新人が入団した。少し変わった人間である。佐賀県出身で若い。今回ツカヤマ!に入るために沖縄にやって来た彼は、初めて会った時の挨拶でこう言った。

「子供の頃から沖縄に住むことになっていました」

言葉だけ聞くとかなりアレなのだが、信頼できる知人からの紹介で、本人も至って真面目そうなので入団を許可した。全くの素人。舞台に立つまでには時間がかかるだろうがゆっくりゆっくり。


劇團塚山公園!は今年度から少しずつ体制を変えていきます。
まず第一弾ということで「研修生みたいな人」を募集します。えーと、準劇団員のような感じでしょうか。
たわらもマスダ氏もここんところ異様な忙しさなのでホームページの更新が滞りがちでいますが、「人員募集」、「年間スケジュール」などの告知を含めて近日中にリニュウアルします・・・・・あくまで予定。
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