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落ち着かないたわらの日々
■2003年8月29日(金)とゅりゃとゅりゃとゅりゃりゃ。
一週間空いてしまった日記。ナニをしていたかと言えばもちろん稽古をしていたわけだが、それ以外に2日間あるところで太鼓を叩いていた。琉球舞踊の太鼓だ。今までも芝居の“効果”や幕開け舞踊などを少しだけ叩いたことがあったが、踊りだけの舞台で叩いたのはこれが初めてでかなり緊張してしまった。2日間で6ステージ。ひとつの舞台自体は短く2日間でこの舞台数。
芝居と同じで回を重ねるごとに少しずつマシにはなっていったが、どうも思うように(アタマの中で考える通りに)叩けず悔いを残してしまった。明らかにテクニック不足だった。テクニック至上主義ではないが、感性、技術、稽古のバランスが大切だと改めて痛感。

何度も書いている通りアトリエ周りの道路はずーっと工事が続いている。「ナニを今更」と言われても、それでも書きたくなるのだが、毎晩毎晩掘っては埋め、埋めては掘りを繰り返している。きっと必要だからそうしているんだろうと信じつつも、なんだか無駄だなあと思ってしまわずにはいられない。更にここ1、2週間はちょうど駐車場前を繰り返し掘っており、23:00以降車の出し入れが出来なくなる日があって困っている。
この工事はどうやら電柱を地面の中に埋めるためのものらしい。が。ここで問題。ある朝花壇に水を撒こうと思ってホースを引っ張り出していると工事関係者に声をかけられた。なんでも「電柱を埋めるので、地面の中からお宅へ電線を出す工事をしたいのだが、歩道の側溝下から花壇の中を通って壁にパイプを取り付けたい」と言っている。要約すると「電線地中化の一環のために、たわら邸の花壇を掘り返し、植物を枯らした上で更に景観上美しくない太めのパイプを3本建物正面の一番目立つところに中途半端な長さで取り受けたい」と言うことらしい。必ずこの場所ではいけないのか?と問うと「夕べの工事で国○組の人がここに引き出し口が来るように作ってある」と言う。ここにパイプを付けると景観上良くないと言ったら「みんなそうしている」と言う。この建物は設計士に依頼してデザイン管理をしているからそんなコトされたら困ると言ったら「そんなこと言ったらどの建物もそうです」と言う。そして他の家の工事の具合を何軒か見せられた。他にどうしようもないのか?と聞くと「無いですね。将来的に電気が行かなくなりますよ」と言う。
結果、工事は行われてしまった。だって。ねえ。
それにしても、人の財産にキズを付けることに対してどうとも思わないこの感覚。誰も責任を取ることが無いこの組織構造。どうなってるのだ。さて、この責任の所在はどこに?沖縄電力かNTTか。

そんなこんなで最近はちょっと社会派なたわらなのでした。
■2003年8月23日(土)コレが本来の姿。
というのも、朝稽古して、昼稽古して、夜稽古して深夜まで、ということを繰り返しているが、一年くらい前までは、稽古を三つ同時進行すると、もう、あっぷあっぷだったが最近はすっかりふつう。というか、なんだかひま。
それもこれも昨年後半にやった「ツキイチコーエン!」のお陰だろう。「ツキ“ニ”コーエン!」というのをやったらどうなるのだろうか。

たわらは35歳である。ウソでも自慢でも誤解でもないがよく20代後半に見られる。つい最近受けたワークショップで、明らかにたわらより年下と見られる人に“ため口”で「たわらさん年いくつなの?26歳くらい?」と言われた。35だと答えると、その人は仰天してとたんに敬語なり「全然見えませんねえ」と。
それで、何が言いたいのか。最近なぜかクラス会や同窓会が頻発中。『ヒマ』とはいえ、アルコールを取ると翌日の稽古が出来ないのでここのところあまり飲酒をしない体になっているたわらなのだが、稽古の合間を縫って会った数年ぶりの友人らは例外なく皆大人になっており、子供が3人いたりする。話題は当然“子育て”だったりするわけで、他におじさん的なものでは“格闘技”や“携帯電話の功罪(浮気できないらしい)”の他“ロシアンパブの真相(ナニも出来ないらしい)”なんてのもあった。

それで。現代演劇はそれこそ現代の演劇だから、そーゆー“ふつう”も描くわけだが、稽古が趣味なだけあってそーゆー“ふつう”から縁遠くなっているたわらがいることに気が付いたのだった。べつにどーしようというわけではないがこれが役者の姿。

9月から新たにもう一本芝居の稽古が入る。いいそがしいのええことじゃ。
■2003年8月17日(日)新聞の。
常々思っているのだが、新聞報道の文章が、というか、コトバがおもしろい。県内外の、目を通している数紙から以下。

@ 〜を否定しなかった。
A 〜の節目を迎えた。
B 不安を残した格好だ。
C 一時、騒然とした雰囲気となった。
D 〜が白日にさらされた。
E 〜をうかがわせた。
F 〜であるとあきらめ顔。
G 〜焦りを隠せない様子だった。
H 〜対応に追われた。
I 〜と明言した。
J 〜と言明した。
K 〜を容認する。
L 〜を堅持する。
M 〜の姿勢を見せた。
N 苦渋の選択だった。

ざっと、気がついた表現を列記してみた。きっと誰でも「ああ」と思うものばかりだろう。
上の殆どは記事の表現の詳細を“〜”に置き換えているだけだが(著作権などの問題のため)、それでもどうも、ビミョーに、アレである。D番はたぶん「白日の下にさらす」だろうなあ。辞書にもそうあるし。
すべてタワラテキに気になる表現だが、例えばG番「焦りを隠せない様子だった」はよく目にし、そのたびに疑問に思う。

「彼はかなり焦っていた」

これではダメなのか。まあ、おそらくダメだからこそそう書くのだろうが、ではなぜダメか?「焦り」という状態には一般的に負のイメージがある。「焦っている」という事実をなるべくなら他者に悟られないようにしなければならないと考えるのが多くの人のスタンスであろう。しかし記事になってしまった方はそれこそ記事なってしまうほどの渦中にあるのであって、だからこそ一生懸命に「焦り」を隠そうと努めるが、隠そうと意識すればするほどボロが出る。「隠そうとしている様子」がバレバレになる。結果それが「私は今とても焦っているが、私という人間は自他共に認める大人なので、焦っているという事実を必死に隠し、常に冷静であることをアピールしようと努力しています」と表現することになってしまう。つまりが「焦りを“隠せなかった”」になるのだろう。ああ、そうか、結局は「焦っていた」という事実よりも「動揺している」から「彼奴はアヤシイ」という文脈が重要なのか。なるほど。


G番に近いのが@番。「否定しなかった」は「『肯定した』と解釈することも出来るんだという意味を含んでいるんだぞ」と主張していると思われるが、さらに「公式にはあくまで否定“は”しなかったわけであって、だからって肯定も“も”しなかったけれども、それは、おまえ、アヤシイだろう」という意味なのだと考えられる。なんだかよく分からないが。

政治欄に頻出するのがI番からN番。「明言」と「言明」の文字の入れ替えで起こるニュアンスの変化が楽しい。そういう話題を喋っている政治家もきっと「あ、ソノことについては言明して、アノことは明言だな。コレについては堅持しよう。ソレはかなり苦渋の選択だ」などと意識しているのだろう。


ちなみにE番。「うかがわせた」のは「不法投棄」だった。
■2003年8月14日(木)流行の。
朝、夕と、ほんの気休め程度に涼しくなってきたようなニオイがしないでもない。しかし、日中はまだまだ暑く、アトリエはやはりサウナなのだった。それでふと「熱中症」が気になりネットで調べてみた。

「暑熱環境下にさらされる、あるいは運動などによって体の中でたくさんの熱を作るような条件下にあった者が発症し、体温を維持するための生理的な反応より生じた失調状態から、全身の臓器の機能不全に至るまでの、連続的な病態」

だそうで、症状も多岐にわたり、で、かなりコワイ。今までは稽古中には気を付けてマメに水分補給するように心がけていたが、大量の発汗の後には水分補給だけではダメだそうだ。

「大量に汗をかいてそれに大量の水分のみをとると、電解質異常がおきて、 酷使した筋肉に痙攣が起きます。」

という恐ろしいことがかかれているサイトもあった。必ず少々の“塩分”を。


で。脈絡なしに、この数日タワラテキに流行っているのは“炭酸水”なのだった。そう。砂糖の入っていない“ただの”炭酸水。暑い稽古場でしゃきっとしゅわっと冷えた炭酸水がうまい。


最近ご無沙汰している友人から、かつての職場の“同窓会”をやらないかという提案があった。そうなんだよ。そうなんだよなあ。やらなきゃなあとは思いつつ。日々の多忙さに流されているのであった。このままではセッティングしたたわらが参加できないなんてことになりかねない。こうなったら誰かに幹事を押しつけよう。それが一番。


昼。ツカヤマ!稽古。
夜。某所で太鼓を打つ。
■2003年8月12日(火)もうすっかり秋だねえ。
この4日間ほど連続してワークショップを受けていた。まあ、色々学習することあり。

ツカヤマ!トップページにある通り、現在表向き二つの稽古と未発表の稽古一つが進行中。いい感じではある。が、驚くことも多々。それもまた楽しい。

で。モノレール。開業初日から災難に遭っているようです。東京なんかだと、子供でも年配でも電車のドアに手や指を挟まれる人はあまりいないと思う(体を挟まれる人は何度も見たことあるが)。なぜか?それはたぶん痛い経験が“種”の記憶として遺伝子に書き込まれているからだろう。オキナワはこれからである。

新聞の記事を読んでいると、問題のあった直後の駅のホームは「一時騒然とした」そうで、駅員に「くってかかる場面もあった」ようである。なんだかなあ。駅員さんだってねえ、わざとやっているわけではないだろうし、なんたって“初めての”ことなんだから。事故があったのは確かに問題で、あってはいけないことで、更に間が悪く対応の不備もあったようだけど。
なんて書くと「不謹慎だあ」というような電子メールやFAXの嵐があったり「オタクの教育方針はどうななってんですかぁ!」というような抗議の“荒らし”が起こったりするのかなあ。
ねえ。オキナワもそんなこんなを含めて、良くも悪くもどんどん“都市化”していくのであった。


稽古の休憩中にアトリエから外を眺めていたら、小学5年生くらいの男の子が歩道の真ん中で立ち止まりポカンと空を見上げていた。たわらもつられて見上げるとちょうどモノレールがホーム滑り込むところだった。なるほどやはり珍しいのだな。と単純に考えたのだが、もしかして、むかしむかしアポロが月に着陸した時の感動と似たような感動に浸っているのだろうか、とも思った。そうだとするとだ、何十年かあとになって子や孫に「むかしむかしワシが小学生じゃった頃にのぉ、初めて沖縄に軌道系交通機関が出来てのおぉ。ん?おお、軌道系交通機関というのはな、レールがある電車などのことを言うのじゃよ。うむ、その時の感動といったらのぉ。それはそれはもう、アレじゃった。その時ワシは大きくなったら運転手になろうと決めたのじゃよ。ほっほっほぉ」と話したりするのだろうか。
などと楽しい空想をしながらその少年の顔を見ていたら、立ち止まっている少年のすぐ傍を同じ年頃の男の子が、モノレールを見上げることもなく冷めた顔で通り過ぎて行った。なんだ結局は個体差なのだった。


ビデオで『白い犬とワルツを』。退屈だった。犬を飼っている人はすぐに気が付くと思うが、あの踊っている場面の犬さんの顔はとても戸惑っていてかわいそうだった。そこですでにヒイテしまったのでした。
■2003年8月9日(土)つかの間の静寂。
アトリエ横の歩道の穴掘りが終わって静かになった。時々聞こえてくる「キィーイー」という金属音は歩道のタイルを切断している音だ。ベランダから階下を見ると職人さん達がカラータイルを一枚一枚はめ込んでいる。上から見るとよく分かるのだが、この歩道(100メートルくらい)の端から端まですべて手作業だと考えるとアレである。巨大なジグソーパズル。

などど馬鹿なことを考えていたらポストにチラシが一枚。道路工事のお知らせ。また砂嵐か。はあ。
今度はアトリエ前の道路で電線地中化工事をするらしい。しかも、夜間。で、23:00〜06:00まで車の出入りが出来ない。さらに期間が1ヶ月。どうしろというのだろう。チラシには「ご理解を賜り、ご協力の程よろしくお願い」などと書いてあるが、ご理解はいくらでも賜ってあげてもらってもかまわないが、夜間とはいえ1ヶ月も車の出入りが出来ないのはダメでしょ。役者の生活なんて不規則の手本のようなモノなのに。
さっそく、明日工事管理事務所に電話をかけてみよう。

ビデオで『サトラレ』を観た。鈴木京香が良い。きれいな三枚目というところが。安藤政信(だったか?たしか『キッズ・リターンズ』で出てきた)やその他のキャスティングも。丁寧に作られていてなかなか。この際テーマ云々は気にしないでおく。

明日はモノレールの開通日。朝日新聞などでも取り上げられている。マスダ氏は始発に乗って大騒ぎをすると言っていたが本気だろうか。『の饅頭』をもらいに行くらしい。
風呂に入りにくくなる。
■2003年8月6日(水)台風なのです。
台風が好きだ。これはおそらく一般的な沖縄人に共通する見解だろうと思う。この台風が他県に大きな被害をもたらすこともあるから、こんなことを書くと「不謹慎だ」とご立腹の方もいらっしゃらられれる方もいるかもしれないが、それにしても、子供の頃から台風が好きだった。家の中でじっとしていられない。心と体が“ふとぅふとぅ”していてもたってもいられないのある。

台風だから、明日は、“公式には”いろいろな稽古が休みになる。ツカヤマ!稽古は元からオフの日だったのでアレだが、その他が軒並み中止なので一日すっぽり体が空く。さて。映画にしようかビデオにしようか、お買い物にしようか。台風だから。

今、あるワークショップで『組踊り』を題材として取り上げている。たわらも“立ち方”として参加している。もちろんやったことなんかないので経験者を見よう見まねで追っかけているが、非常に難しい(と感じる)。様式の舞台であるという点を除けば、現代演劇と同じ“演劇”には違いないので、難しいと感じるのは『コレは古典芸能だ』などという先入観のせいでもあるのだろうが、身体のこなし、立ち居振る舞いはやはり幼少の頃から琉球舞踊をやっていた人にはかなわない。稽古せねば。
■2003年8月4日(月)日々の名残ってどういう意味か。
稽古に次ぐ稽古の日々。解らないことが増えていく。外へ出よう。外へ。

モノレールもまもなく開通。駅前通りの整備もすさまじい砂嵐を巻き起こしながらずこんずこん進行中。で突然ですが。たわらの風呂場は8階に在ってモノレール軌道(言葉の重複か)とほぼ同じ高さである。風呂場はガラス張りで(文字通り)外から丸見えになっている(決して見せるためではない)。言い方を変えればモノレール乗客の視線の先にたわらの裸があるとも。宅の設計段階ではモノレールがこれほどの高さになるとは考えもしなかったので適当にガラス張りにしてしまった。しかも覆いようのないかなり大きなガラス。そうしたらだ。道向かいには大きなマンションが、そして、すぐそこにはモノレールが出来てしまった。
最近はモノレールの先行試乗会が盛んで、休日などはたくさんの客を乗せたモノレールがピストンである。砂嵐のため窓を開けることが出来ず部屋で汗だくになり、せめてもの行水をと風呂場へ行けば満員のモノレールが目の前を通りすぎていく。先日は小学生と目があった気がした。これからはウカウカと妙なポーズでシャワーを浴びることも出来ない。お風呂に入りながらも演技をしなければならないのであった。

高校時代のクラスメイトからクラス会についてのFAXが届いた。1年時のクラス会だ。高等学校といえばだ。ああ思い起こせば20年前。登校拒否はしなかったが高校の日々はつまらなかった。行きたくて行っていたわけではなく、まあ、仕方なく通っていた。なんとなく登校し、適度に授業に参加し、適度に赤点で、適度に笑って、それでどうやって卒業したか覚えていない。3年間を通して常に不満を持っていて何か息苦しかった。そんなことはどーでもいいことだが、さて。1年の時のクラス会は20年経った今でもかなり頻繁にやっている。いや、厳密には“頻繁”でなく年に1〜2回の割くらいなのだが、20年も経っているのに、今その回数はかなり“頻繁”といえるだろう。公演や稽古とぶつからない時はいつも参加している。高校時代はつまらなかったと書いておきながら、今もマメに参加するのは一年越しに会う級友の顔がだんだん“大人”になってゆくのがおもしろいからだ。なにがって、高校系の友人・知人で芸能関係の、いわゆる自由業になってしまった人はいないから(音楽の道に進んだ友人は二人いるがクラシック系なので仕事で一緒になることはほとんど無い)、その差異が楽しい。皆それぞれの道でプロになり、それぞれの人生哲学を持っている。おもしろいではないか。哲学である。

って、一体何を書いているんだか分からなくなってきました。オチはありません。暑いからです。コレはもうサウナの中でコンピュウタに向き合っている感じ。
ということで。ノート(帳面)を持って外へ出よう!エアコンの効いた喫茶店へ。
■2003年8月1日(金)ぼくなんにもしないのに8月。
やりたいこと、やるべきこと、やりたくないこと、やろうかどうか迷っていること、それぞれにたくさんあるのにもう8月。
そんななかマスダ氏が(つまり劇團塚山公園!公園管理事務所所長が)こう言った。

「ツカヤマ!オリジナルTシャツを作れ」

なるほど、確かに前々から何度も議題に挙がっていた最重要懸案であった。勅令が下った瞬間にぱっとデザインがひらめいた。よしよし。コレ何枚か作って一般向けに販売してみよう。売れるとは思えないが、二人くらいは珍しモノ好きで奇特なファンの方が購入して下さるかも知れないし。まあ、やってみよう。


9月のツカヤマ!コーエンに向けて稽古をしているが、それとは別に11月のツカヤマ!コーエンに向けての仕込みとワークショップ的な稽古も始めている。
劇團員と別劇団の役者を交えて稽古しているが、どうも、世代の違いというか、ジェネレーションギャップですね、その違いに驚いているのであった。劇團員も含めて、“若者”と言葉が通じないことがある。芝居をする上で、当たり前だと思っていた事象が彼らにとっては当たり前ではなく、たわらが考えることとは全く別物だったりする。その差異からおもしろい表現が生まれることもあるが、そうでない場合が多く、この“差異”について突き詰めていくと、それは「おもしろい表現とは何か?」と問う姿勢(探求する姿勢)ではなく、そもそも「表現するということはどういうことか」などという、思想・思考の根本まで掘り下げていかねばならないようで、さらにはその“表現”という言葉の定義から行っていかなければならないようである。

マスダ氏とも共通見解であるが、10年ほど前はそんなことはなかった。もちろん、そのような世代間の意識の違いから、新たな表現が生まれ、時代が動いていくということは承知しているが、それでも「それは世代交代のはじまりです」というような“現象”だけでは片づけることが出来ない“何か”がある。

現代演劇でさえこうなのだ。では伝統芸能は一体どこへ向かうのだろう。

それにしても腹減った。
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