シカの念。 ■2007年1月29日(月)
年末に行った和食系居酒屋を再訪した。二回目だともっと冷静に食を楽しめるだろうと考えて前回とほぼ同じメニューと日本酒を注文した。たばこの煙がアレだったが、良い感じで料理は進み、メインの“シカ君”が出てきた。前回は食後にものすごい満腹感があり、二次会では酒が進まなかった。その時は料理全体が“重い”せいだと考えたのだが、やはり、今回も重かった。しかしシカだ。料理全体ではなかった。鹿なのだ。シカ君の重さだ。いや、質量の問題ではない重さだ。不味いという訳ではない。とにもかくにも重いのだ。例えて似ているとすれば羊、山羊、鴨、レバーに通じる獣の香りか。まあ、山羊さんに比べればずっと“軽い”部類だが、頂いたあと確かにハラに“ずしっ”ときて、今回も二次会では精神的膨満感のお陰でお酒をあまり飲めなかった。やはりというか、どうやらというか、シカ君は苦手だったようだ。しかしシカ君、たわらの血となり、肉となってくれてどうもありがとう。なむなむ。

ところで。この数日、様々な実験をするテレビ番組の不祥事が話題(問題)となっている様子。“食べ物”が感謝の対象ではなく、ただの“食材”となって久しい。「それは生きていた」という認識がない。この辺が非常に重要で、重大な問題であるはずだが、それを修正する力はもうどこからも出てこないのかなあ。


夜。国際通りを歩いていたら、向かい側の歩道で、なにやら演奏の準備をしている少年達の姿が目に留まった。特に急いではいなかったので、なんとなく立ち止まって準備の様子を眺めていたら、グループの一人がこちら側へ走って来た。小さな白紙にコピー機印刷されたビラのようなフライヤーを差し出しながら「ライブやります。聴いていって下さい。時間ありませんか?僕たち横浜から来ました」と言ってきた。なるほどこの積極性は。オキナワの子ではなかったのか。妙に納得してしまったオチのない話。
これも珈琲。
■2007年1月29日(月) 映画館に行きたい。
これは旨い珈琲。 『ムーチー』が過ぎてから『ムーチービーサ』がやって来た。しかし、年々オキナワは暑くなっている。熱帯の島になろうとしている。二、三年前には室温が十四度くらいになることがよくあったが今年はまだない。子どもの頃は那覇でも雹や霰が降ることがあったし、気温が七度、八度なんてのはざらだったのに。

たわらはコートが好きだ。防寒具のコート。“coat”のこと。以前から「毎冬に一着」とばかりに購入していたが、最近はやめた。暖かすぎて着る機会がないから。二十代前半の頃はTシャツとジーンズにコートのみ、なんてこともやってたけど、今さら、汗をかきながらガンバッテ着ても、ねえ。あ、ちょっと前に“sheepskin”のコートをひとつダメにしたなあ、そういえば。手入れをしようとクローゼットから引っ張り出したら、カビだらけだった。珍しい“青染め”だったのに。
だから、先日の東京ツアーにはお気に入りの真っ黄色ダッフルコートを持って袖を通してきた。妙な言い回しだが、実際、ツアー目的のひとつは「コートに袖を通すこと」だった。紀伊國屋サザンシアターで偶然会った知人に、「全身原色!あんた怪しいよ」と言われるくらい、鮮やかな真っ黄色のダッフルコート。さて、今冬にオキナワで袖を通せるか。

DVDで『アンジェラ』。
トーキョー在。 ■2007年1月23日(火)
東京にいた。五日間の滞在中に六作品を観た。
東京は二年ぶりで、観劇の他に打合せもあり、また幾人かの友人にも会えて忙しいツアーだった。

東京は迷路だ。上京するたびに電車路線図は複雑になってゆくから、手帳型地図があっても素早い行動は難しい。所有の地図は数年前の“版”で、掲載情報は随分と古くなっていた。それを買い換える前のお試しにと、今回のツアーでは携帯電話のナビゲーションシステムに依存してみた。
携帯ナビの利用価値はオキナワでは今ひとつの感があるが、東京ではもはや生活必需品であった。現在地(最寄りの駅)から目的地(付近の駅)までの出発時間と到着時間を指定した上で、経路の候補を四つ示し、乗り換え回数、料金の違い、所要時間、周辺地図、周辺施設の細かな検索が出来る。しかもお財布機能で切符もいらない。ものすごいことになっている。劇場への道すがら、これまで役立ってくれた『ぴあマップ』を処分した。

友人に誘われて『もんじゃ焼き』を食べに行く。もんじゃの名は中学の頃に知ったが、当時は食べ物ではなくて陶磁器などの“焼き物”だと思っていた。信楽焼とか。
実は、もんじゃ焼きを食するのは生まれて初めてで、いわゆる“ゲロ”のようだと聞き及んでいたが、まあ、そうだった。しかし非常に旨かった。どうやらオキナワにも専門店があるらしい。
さらに寒空の下、散策をし、コーヒー店で互いの近況報告。土産の"リアルポーク卵"携帯電話用ストラップをプレゼント。もしかして迷惑だったか。

また、観劇のあとには関係者と和食居酒屋へ。ひさしぶりに“お上りさん”となったのだから、なかなか食べられないものをと考え、それなりの店に入ったら、お味もお値段も、プロの“技”に相応しく、それなりだった。

ある方とは、ある打合せがあって随分と話し込み、途中、お仕事昼食ということで『エビフリャーカレー』を注文した。これも初。

別の友人とは、たこ焼きのような餃子を頂きながら高級米焼酎(?)を飲む。

それから。あの、『ヒルズ』に行ってみた。ちょっと食事をと思ったのだが、ホントにとんでもないところだった。帰りの電車の中で日本は歪んでいると痛感。我々は電池である。


連日連夜が酒宴となり、かなりの量を飲んだ。
千鳥足で疾走して終電車に飛び込んら、窓に映る顔がなんだかおかしくてたまらなかった。



観劇は

@中国武漢雑伎団 東京国際フォーラム
Aトム・プロジェクト「カラフト伯父さん」 ベニサン・ピット
B劇団赤鬼「Crazy Crazy for you」 シアターアプル
Cこまつ座「私はだれでしょう」 紀伊國屋サザンシアター
DFabrica「10.0.1」 赤坂RED THEATER
Eファントマ 「エンジェルダスト」 シアターサンモール
F劇団鹿殺し「僕を愛ちて。」 シアターグリーン

この七公演を観るつもりでチケットをおさえた。しかし、報道でもあった通り『こまつ座』の初日が延期となってしまったためスケジュールを大幅変更。予約した公演は中止に。幸いにもゲネプロを観ることが出来たが、夕方から始まった三時間半を最後まで観るために『Fabrica「10.0.1」』のチケットを無駄にしてしまった。


今回も、毛色の違う作品("毛色"というには余りに違いすぎるが)を選んで観た。作品の善し悪しはあったけれども大変興味深く、様々なことを改めて再認識と再確認。

たわらが言うのも全くおこがましいことですが、それにしても『こまつ座』が素晴らしかった。ゲネプロだからこそのおもしろさが。ホンが書き上がったのは一週間ほど前だったそうだ。



帰沖。荷物を置きすぐに稽古へ。

ふゆ。


ふりゃー。


メトロに乗った。


僕はやってない。


どんな?


庭。
■2007年1月14日(日) ひえたり。
は。 次回公演のチラシを作っている。もうすぐ一ヶ月前だというのに。
制作期間に年末年始を挟むとこういう状態になる。だから一月、二月公演というのは少ない。年の初めから泡を食っている。
日常の、些細なことに時間をとられて、コトがさくさく進まない。近々東京に行こうと考えているので、携帯用コンピュウタをインターネットに接続するためのPHSを機種変更しようかどうか迷っていて、手続き上必要なコトを調べるために契約書が必要になり探していたら、ついつい片づけを始めてしまう。大掃除をしなかったから。
各種取扱説明書や使用者登録書、保証書などをまとめて保管してある棚があり、そこをひっくり返して不要なモノを処分した。例えば、Windows95関連だったり、十年前のソフトウェアの登録書だったり。既に存在しない会社名などを見て懐古。
で、PHSの契約書は見つからず、ネット上で調べようとしたら、パスワードを「規定回数以上間違えたのでロックされました」となり断念。いろいろ面倒くさい。
のっけから。 ■2007年1月11日(木)
更新が滞っている。
この年末年始は、例年に比べ酒宴が多くて生活の調子が不安定だった。もちろんカゼをひいたりはしていないが、二日のストレッチ初めで頑張りすぎてしまい腰をやってしまった。その翌日からが大変だった。立てない、座れない、屈めない、ズボンはけない、パンツはけない、靴下脱げない。横になれない、寝返りできない、起きられない、くしゃみができない。そんな状態。にもかかわらず五日から『高校演劇集中合宿』があり、三日間研修施設に缶詰だった。そこで、可能な限りひたすら“癒し系ストレッチ”に励み、夜は湯船にゆったりと。なんとか回復したのだった。

高校演劇合宿はすこぶる楽しく、おもしろく、勉強になった。実施者が勉強になるってどうかと思うが、だからこその、得るものが多くあった。企画に賛同して下さった沖縄県高校演劇連盟さまありがとうございました。

研修は内容も“缶詰”状態で、濃密な時間だった。幾つかの課題を組み合わせ、主に“演技とは何か”や“演じるとはどういうことか”など、また“役者の仕事とは何か”に重点を置いて進めていった。三日間の限られた時間の中では“さわり”ぐらいしかできなかったが、ある課題の中で出た。参加者の言葉が強く響いた。

「私は“彼”がなぜ行動したのかが分かりました。でも私はその行動を理解は出来ません」

参加者の中から一人でも演劇を生業とする者が出たら嬉しい。その可能性に掛けている。


十日から子ども向け演劇ワークショップが始まった。那覇市内から、あちこちの小中学生が集まっており、正直に言うと、まあ、大変で、責任重大だが、楽しくやっていこうと思う。
で余談だが、参加者の母親が中学時代に同じ学級だったり、部活動の後輩だったりで驚きだった。
このワークショップは三月下旬までの約三ヶ月間走っている。

TTC(仮称)公演の稽古もつつがなく進行している。
それとは別に、団員のクニナカが劇団『カメレオンスカート』の公演に出演する。コントをやるらしい。これも順調に進んでいる模様。

二月公演。三月公演。四月公演。七月公演。と、今年も激しくなるが、健康第一で楽しんでいく。

しょうけん?
■2007年1月3日(水) しんねんだから。
新。 2007年
新年明けましておめでとうございます。
今年も良い年でありますように。


この日記のようなものは二〇〇〇年十二月から始まって七年目に入った。取り留めないことをただただ書き付けてきた。公開日記という形式の備忘録であり、思考の変化を追う落書き帳である。読んでも何の役にも立たないが、「ああ、こんなことを考えている人間もいるんだ」というただそれだけで。


何の準備も、感慨もなく新しい年を迎えた。年末に観た幾つかの映画のお陰で心は重い。
三箇日はゆっくりぼけーっとしようと決めており、雑誌と文庫を準備して読みふけっていた。その中に「溜飲を下げる」という表現が四ヶ所も出てきて、しかもネット上のどこかの文章でも目にした。流行っているのか。実際どうなんだろう。溜飲。

年賀状に目を通し、年賀E-Mailに目を通し、ネット新聞を読む。平和なんだか、なんなんだか判らない世の中になっている。
この数年、新年の抱負を考案して年を越していたが、三十九回目にしてそれも少し飽きた。マイナス方向に考えているわけではないが飽きた。無理やり“モチベーション”とやらを押し上げなくても良いかなと感じることが出来るようになったのは、きっと良いことなのだろう。

二〇〇六年“も”いろいろなことがあった。楽しいこと、そうでないこと色々だ。今年もそうだろう。日々の生活に、日常に、少しずつ新しいことを見つけて前へ進んでいこう。
今年もふつうに真っ直ぐ芝居を作ろうと思う正月。


友人が、誕生祝いにと送ってくれたDVD『亀は意外と速く泳ぐ』を観る。年末にネットでまとめ買いをしたワインの中から一本を開け、くるみパンのオープンサンド。身体は肉を欲していたようで、オキナワソーセージと、どこぞの老舗の生ハムと、ベーコン卵と生トマト。それと野菜汁。


こんなたわらを今年もよろしくお願いします。








































2004
1月のたわらごと。 2月のたわらごと。 3月のたわらごと。 4月のたわらごと。 5月のたわらごと。 6月のたわらごと。
7がつのたわ(ら)ごと。 8がつのたわ(ら)ごと。 9がつのたわ(ら)ごと。 10がつのたわ(ら)ごと。 11がつのたわ(ら)ごと。 12がつのたわ(ら)ごと。
2005
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